37歳で大学生になりました

この4月に、帝京大学理工学部情報科学科 通信教育課程の第2学年に編入学しました。通信教育課程なんで、仕事は続けたままです。

今日は、なぜこの歳(37歳)で大学に入ろうと思ったのかについて書いてみようと思います。

自分の現在の立ち位置は、ソフトウェアエンジニアだと思っているんですが、出身は経済学部経営学科です。それが悪いとは思ってないですし、そういう人は身近にたくさんいるんですが、情報工学や計算機科学なんかの学位を持ってない、といったことに、ほんの微か、あるかないかぐらいの、引け目なんだかコンプレックスだかなんだかわからないけど、そんなようなものをずっと持ち続けています。

それはあまり意味のないことで、別にそんな感情持つ必要ないじゃん、と思いつつも、ずっとひっかかりはあって、この感情ってこの先ずっと残るのかな、とか思ってたわけですが、だったら学位取っちゃえば、そんなつまらないこと考えずに済むじゃん、とある時ふと思って、ログピでつぶやいてみた のが、事の発端。

でも、学位取ろうと思ったのって、このわけのわからないコンプレックスだけが原因じゃなくて、他にも様々な理由があって、それが積み重なった結果、「あ、学位取ろう」って発想が出てきたんだろうな、と思ってます。

自分はこの先一生、ソフトウェアエンジニアとして生きていこうと思っているのですが、そうすると、65歳が定年だとしても、まだ28年もあって、社会人人生の半分にも至っていません。なので、この先もずっとエンジニアとしてやっていこうと思うなら、ここらで一度、基礎体力づくりとして、大学で学んでみるのもいいかな、と思った、というのがもうひとつの理由。

あともうひとつは、ソフトウェアエンジニアとして生きていくなら、今すぐ行きたいというわけではないけど、アメリカに行くことも視野に入れた方がいいのかもしれない、と思ったから。エンジニアがエンジニアらしく生きられる土壌が、向こうにはある気がするんですよね、なんとなくですけど。

それ以外にも、アメリカ行きたい理由はいくつかあって、1年ほど向こうで仕事したことがあるんですが、その時は結婚前の妻と一緒に暮らしていて、とても楽しかったので、また行きたいね、なんてたまに話してたりとか、長男が宇宙が好きで天文学者になりたいと言ってるので、学者になるんなら英語は身につけておいた方がいいだろうし、アメリカなら NASA が身近にあるし、とか、次男が割と重めのアレルギー体質で、アトピーや喘息がひどいんだけど、自分も同じような体質で、経験的に環境が大きく変わると症状が良くなることがあることを知ってるので、もしかしたら次男の体にもいいんじゃないかとか、そういった理由もあったりします。(実際、自分がアメリカで暮らしてたときは、喘息の調子はすこぶる良かった。)

で、たぶん、いずれは行くことになるんじゃないかな、と漠然とは思ってます。それが、今の会社所属のままで行くことになるかもしれないし、全然違うかもしれない。でも、そういったチャンスが来た時に、情報工学の学位を持ってないから、ビザが取得できなくて行けない、なんてハメになったら残念すぎるので、できる限りの準備をしておこう、と思ったから、という理由もあります。

今の会社所属のままで行くことになるなら、おそらくビザの心配はいらないし、アメリカ以外ならそういった学位がなくてもビザ取得できる国もあるらしいとか、アメリカの大学の学位じゃないなら、あまり関係ない、みたいな話も聞いてはいるので、ビザの観点から見たら無駄なことになるかもしれないけど、それでもできることはやっておこう、と思ってます。

そんな理由が積み重なって、ふと「学位取ろう」とつぶやいたのが今年の1月前半で、その時には、別にすぐとは思ってなくて、数年単位でゆっくり考えよう、とか思ってたんですが、このつぶやきを見た妻が、社会人&学生のための大学・大学院選び 2012年度版 という本を買っておいてくれて、この本を読んでたら、あれ、次の4月からの入学、まだ間に合うな、ってことに気づいたので、そのまま一気に進んでいった、という感じです。

と、色々と理由はつけてみたけれど、結局はコンピュータというものが好きで、ただの趣味の延長にすぎない、という気もしないでもないです。要は道楽。

というわけで、これから科目を選んで履修届を出す、という段階で、本格的に学業がはじまってないので、自分が大学に入ったという自覚はまだあまりないんですが、なぜ40歳近くにもなって、大学入ろうと思ったのか、ってことを書いてみました。

またいずれ、大学生と社会人の掛け持ち生活を続けてみて、ぶっちゃけどうなのか、ってな話も書けたらいいな、と思ってます。